笠原氏は下方修正したか?
本ブログ 分かってないのに偉そうなのはなぜ?-人の振り見て コメント欄より
これについては、洞富雄氏が
>被害者数を最近に下方修正した人
笠原十九司もな。あの人最後には10万人あたり(しかも上海からの追撃戦も含む!)を主張して中国に怒られてたように記憶してる。
これについては、洞富雄氏が
三〇万人(南京対外文化協会)、三四万人(南京地方院)という数字が実数に近いのではないだろうか。
『南京事件』(新人物往来社、1972、P.183)
と主張を変化させたことが頭に残っていて混同してしまい、このときには指摘できなかったったのだが、おそらく笠原氏は下法修正はしていない。日本軍の南京占領によって、二〇万人をくだらない中国軍民の犠牲者が生じたということになる
(「行政区としての全南京市における犠牲者の総数」ではなく、また戦死者も含めている)
『決定版 南京大虐殺』(徳間書店、1982、P.145)
笠原氏は『南京事件』(岩波新書、1997)にて
そして、『南京事件論争史-日本人は史実をどう認識してきたか』(平凡社新書、2007)で、『南京事件」』を紹介し、その部分で
「中国に怒られてた」に関してはこちらを参照。
としている。以上の犠牲者数についての資料状況と本書で叙述してきた南京事件の全体状況とを総合すれば、南京事件において十数万以上、それも二〇万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される。
(P.227~P.228)
そして、『南京事件論争史-日本人は史実をどう認識してきたか』(平凡社新書、2007)で、『南京事件」』を紹介し、その部分で
とある。犠牲者数の推定については、これ以上に言及しているところは無いことから、おそらく『南京事件論争史』執筆時点では、見解の変化は無かったのであろうし、その後も特にそういった話は聞かない。そのため、現在に至るまで、見解の変化はないと思われる。犠牲者数については、資料状況と南京事件の全体状況とを総合して、一〇数万以上、それも二〇万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったと推測されるとした。
(P.209)
「中国に怒られてた」に関してはこちらを参照。
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タグ : 南京事件
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事件発生の区域は、南京城区とその近郊の六県を合わせた行政区としての南京特別市全域であり、それは南京攻略戦(中国にとっての南京防衛戦)の戦区であり、南京陥落後における日本軍の占領地域でもあった。(笠原十九司、『南京事件』、岩波新書、1997年、P.214~P.215)